口は災いの元である。
口は火のないところに煙を立てることができる。
日常生活や仕事などにおいて、絶対だの完璧だのという断定するフレーズは
大事な場面では余程の自信がない限り 私は多用するべきではないと考えている。
…と何処かで書いたような気もする。
断定する表現は、考えや商品などに自信があるように見え、社会においては むしろ好ましい表現とされる。
しかし、碌な根拠もないまま断定をしてしまうと自分の首を絞めることにもなりかねない諸刃の剣である。
3本の矢の話
1本なら簡単に折ることができるが、3本束ねれば折れにくいことから、結束や協力の大切さを説く逸話とされる。
例え話で「3本束ねれば折れない」と言ったことにしよう。
折れないと豪語した毛利元就の目の前で、束ねられた3本の矢を折ってみせる。
4本・5本とへし折ってみせれば、元就公の面子は丸潰れ。
3本の矢の話は 結束や協力どころか、何人束になっても意味が無いことを説いた逸話になる。
(それか凄い力があれば勝てるみたいな話になる)
断定は力の強い表現だ。
それ故に使う場所と時は考えて使わなければならない。
不用意に使い続ければ、言葉は力を失っていく。
「絶対○○じゃなきゃいけません」
「これは××です」
何事にも想定外は起こりうる。
「絶対」と言っておきながらイレギュラーが起きてしまったら、どうする?
遅刻常習犯の言う「明日は絶対間に合わせる」とそうでない人の言う「絶対」では重みが違う。
極端な話かもしれない。
もちろん持論なので、宛にはならないだろう。
それでも、物の言い方や書き方について、一度考えるキッカケになれば。
