口頭の説明では伝わらず
ましてや、文章だけの説明では伝わらない。分かってもらえていない。
なんて状況があったとする。
最近の話で言えば、AIに「お願い」をするのに説明が(言語化)できないと言った状況も当てはまるだろうか。
何故そうなるのか、ぼんやり調べてみたとき
ある「考え方」についての動画を見つけた。
視覚思考者(ビジュアルシンカー)と言語思考者(バーバルシンカー)である。
ざっくり言うと、物事を視覚、映像やイラストで考える人を視覚思考者
言葉や文章で考える人のことを言語思考者と呼ぶそうだ。
して。
面白いのが、視覚派と言語派は二分せず、グラデーションチックにどちらも有する人の方が多い。
稀に極端な言語派・視覚派もいるようではある。
そして、視覚派は言語派のことが・言語派は視覚派のことが
多分、恐らく理解できない。
それどころか、相手も自分と同じ考え方なんだとさえ思っている節がある。
故にギャップが生まれる。
ただ、結局の所、言語化しなければ伝わらない。
世の中「言語化できると優れている」という風潮ができあがってしまってもいる。
人間の出力は言葉か身振りくらいしか無いのは事実なのだ。
それじゃあ言語思考者優位じゃん、と思うが
そもそも「理解すること=言語化できる」ではない。
実際、視覚思考者は映像で物事を考えているからこそ、細部まで物が見えている。
その細かさは言語思考者よりも優れていたりする。
もう一つ付け加えると、視覚思考者は
物体視覚思考と空間視覚思考に分かれる。
物体視覚思考では、物事が具体的な映像として思い浮かぶ。
その解像度の高さで細かに物事を記憶できる。
一方、空間視覚思考では、物事を抽象的な図や像で捉える。
そのため、頭の中に3Dモデルがあるかのように全体像を把握するのに優れている。
理想的なのは、どちらも有していることだが
偏っているから悪・劣っているという話ではない。
真に悪なのは、相手も同じ考え方だと決めつけることだろう。
どちらの思考者でも、物事を噛み砕くべきなのだ。
イメージを想起できるような言葉を使ったり
頭の中の映像を説明できるよう、より細分化したり
誰にでも分かるようにというのなら、互いに歩み寄らねばならない。
