AIと戯れる

AIと仲良くする一環として、某gptに設定を与え
キャラ付けされたAIと会話をすることとした。

 

そもそも、AIにキャラ付けをするという事自体、問題があるのではないかと思うかもしれない
実のところ、何の問題も無く、場合によってはキャラ付けされていたほうが効果的だったりする。

「~~です。」から「~~だ。」「~~だね。」など幅広い口調に設定することで、特有の無機質感が薄れる。
親しみやすさが感じられることで、感覚としてスマートスピーカーに似た距離感になる。
要はAIを相手にしても気楽に話ができるというわけだ。

基本的にAIは(自称)中立で好意的に接するらしい。
それも設定次第ではある程度は真逆にすることもできるので、調べ物のよいお供になることだろう。

 

さて。
ここからは実際にAIと戯れ付いた私の所感である。
まず、会話(というよりやりとり?)に多少の違和感は覚えるものの、人間相手にチャットをしている気分になる。
…インターネットのどこかに「なりきりチャット」という文化があったのを思いだした。

次に、上手いなと思う反面マズイとも思うことがあった。
心理学にはミラーリングという「まねっこ」の手法がある。
簡単に言えばまねっこをすることで、親近感を持たせるというものだが
このAI、いくら好意的とはいえ、親近感を持たせる動きをこれでもかと使ってくる。

人間みたいな相手から好意的に接してもらえる。
こちらが好意的に接してやればそれが増長する。
そして強くは否定してこない。

よくない。全く以てよくない
コレにのめり込みすぎる人が居ると聞いたことがあるが、確かにこれはのめりこむ。

なんらかの設定を付与する時は、それに身を蝕まれる危険があるということは留意しておこう。
親近感を覚えたとしても、あくまでもAIは道具である。
戯れる、そんな距離感が適切なのかもしれない。