ほぼ3行と半分

文章を書き綴って送信を押す。
プロンプトを入力する。
一見同じ行動にも見えるが違う。

近頃、そういった行動の差が薄らいでいるように思える。
その書いた文章やプロンプトは、画面の向こうの相手まで想像したものだろうか?

「人間に分かる」のと「AIに分かるの」では、文章の書き方に若干違いが出る。
人間であれば、ある程度の背景情報は省くことができる(共通認識の有無による)
反対にAI相手には、その背景情報の説明をしておいた方が回答の精度は上がりやすい。
主語述語の関係、序論・本論・結果…誰が何処でどのように的な5W1H…
つまるところ、文章が長ったらしくなる。
…がAIもそこまで阿呆ではないので、前提を省いても割とソレっぽい回答はしてくれる。

 

人間という生き物は、基本的に面倒くさがりであるというのは、様々な学問が示すところである。
では、人間相手でもAI相手でも「同じ文章」で事が済むならそれでいいじゃないか。
なんなら親しい間柄であれば、もっと文章を削れる。それでもAIにはなんとか通じる。
人間もAIも行間を読むことができるのだからこれでいい。

いっそのこと情報をもっとそぎ落とし突飛な味付けにして、バズでも狙ってみようか。

 

というのはあまりにも非道い。
画面の向こうの相手まで想像した文章というものがすっかり抜け落ちている。
その実、人間であろうがなんであろうが、行間を読むのは難しい部類に入る。
書いていないならば、そこに無いのだから、分かりっこない。
察しろと言う方が無理な話である。

 

しかし、情報量モリモリの長ったらしい文章は、書き手も読み手も苦痛である。
何を削り何を含むかを決めるのは、読ませたい相手や環境によるところが大きい。
要するにケースバイケースである。

 

例え、文字を打つのが無機質な液晶に映る白い枠だったとしても、読み手を想像しよう。
メールやフォーム、SNSにAIへのプロンプト、形が違えど読み手は常に「在る」。
思考を止めてはいけない。