昨日の記事
↓ 2025年10月20日 映画館で見た「劇場版チェンソーマンレゼ篇」と未就学児?について
https://www.dreamonline.info/archives/10937
この映画館の出来事の前に読み始めたのが「言語学者、生成AIを危ぶむ 子どもにとって毒か薬か」というタイトルの本です。
まだ半分くらいしか読んでいませんが、本の帯にも「二児の父でもある言語学者が」「切実な危機感を持って警鐘を鳴らす!」と書いてあります。
著者は”子どもにAIを与えてはいけない”という意見ですが、自らも執筆にあたって生成AIを使用し、その過程や思考を読者も一緒に辿ることができます。
生成AIにできないことの一つでもあるだろうと思った、この途中の過程や道のりで起こる体験。
なんでも早い方が良いというわけではない、発達に合わせたタイミングというものがあるよね?と、チェンソーマンやAIだけでなく学校のICT活用を見ても思うのです。
ローマ字入力によるタイピングが、小学校低学年からできたから何なんだ?と。人生100年時代と言われる昨今に、たかだか1、2年早くローマ字入力ができたからといって、何のメリットがあるのだろう?
そんなことよりも、ひらがな50音表がしっかり頭に入っていること、カタカナが書けること、アサガオやホウセンカの葉っぱに触ってみたり、花を指でつぶしてみたり、においを嗅いでみたり…
そんなアナログなことを、小学校低学年のうちにしっかり体感、体験して学んでほしいと思うのです。
ICT支援員からしたら、早くからICT機器を使いこなせた方が一見してICTで”できること”が増えるので、メリットなのかもしれませんが…
それは本当に、子ども本人のためなのでしょうか?日々、そんなことを考えているのでした。
「言語学者、生成AIを危ぶむ 子どもにとって毒か薬か」の最後に『大人が生成AIを使う際に気をつけてほしいこと』と『やっぱり子どもにAIおしゃべりアプリを使わせたい保護者の方へ」というページがあり、分かりやすく1ぺーこにまとめてあるので、興味のある方はぜひ読んでみてください。