二の矢三の矢

時折「あれはこうでなければいけない」と言い切ってしまっている場面に出くわす。

 

果たして、ある結果を求めるのに方法が1つしかないなんてことあるのだろうか。
確かに物事が専門的であればあるほど、手順も方法もそれ以外受け付けない状況がある。
これは、求められている結果に誤差が許されていないからであり
また何度やっても同じ結果を出せるといった再現性を確保するためである。

 

ここで日常生活に目を戻す。
「こうでなければならない」とは言うが、日常生活でそこまでシビアさを要求する場面はいくつあるだろう。
信仰や拘りがあるならその限りではないが、少なくとも私には思いつかない。
むしろ、二の矢三の矢と「あれには こうで そうで ああで いくつでもやり方がある」くらいのほうが立ち回りがしやすいではないだろうか?

 

「こうでなければならない」は なぜ「こうでなければならない」?
独り言である。