人間は、1日のうちに約数十万もの文字が目に飛び込んでくるという話がある。
だからといって、そのすべてを読んでいるわけではない。
文字を文字として認識するのと、しっかり読むのは別の話だ。
パソコンやスマホに時折現れる「保存しました」という文字列
慣れも相まって、いつの間にか「保存しました」を記号として見ていないだろうか。
ある日それが「保存できませんでした」に変わっていたら、気がつけるだろうか。
そもそも「保存できませんでした」がエラーや失敗の類いなら、正解のときと同じ表記・表示にするのは あまり上等な手段とは言いにくい。
酷い時は「失敗しました」だけが表示されたりする。
……なにが?
その辺りのシステム上の文言を考えるのもネット屋の領分である。
SEやプログラマーといえど、キーボードで英文もどきを打ち込むだけが全てではないのだ。
近頃では、AIもプログラムや文章を書けるようになってきた。
それでも細かく読んでいけば、めったやたらと丁寧だったり、妙に規則性があったり
「あァ…これAIだ」と気がつくことがある。
とはいえ、その具体例を覚えていないあたり、真面目に読んでいないことが分かる。
何故読まれないのか。
長すぎるからか、言葉足らずだからか、AI生成だからなのか、はたまた興味が無いのか。
多分きっと、書き手は書くことに、読み手は読むことに興味が無いのだ。
興味という熱、読まれよう読もうとする熱が、そこにはないのかもしれない。
データにして、1文字せいぜい3バイト
人間でも機械でも、そこに熱を込めるのは容易ではない。
読まれようとして書く、読もうとして読む意思が要る。
書き手と読み手の熱量が噛み合わなければ、読解には至らない。
読まれる努力と読む努力
走り書きや流し読みでは、まだ遠い。
