伝わらないを考える・2

前回、視覚思考者は言語思考者のことが
言語思考者は視覚思考者のことが、多分きっと理解できないと書いた。

人間の情報処理の仕組みとして
入力・思考・出力 という流れがあるが単純に見てみると

視覚思考者(以降 視覚派)は
入力:視覚   思考:視覚   出力:視覚+言語 で情報を処理する。

一方、言語思考者(以降 言語派)では
入力:言語   思考:言語   出力:言語 で情報を処理する。

 

LANケーブルのポートには、USBは接続できない。
逆もまた然り。

自分にとって受け取りやすい形式と、相手が渡してくる形式が噛み合わない。
そのズレが「伝わらない」を生むのではないだろうか。

 

例えば、IKEAの家具やLEGOの組立説明書には文字が殆ど書かれていない。
矢印等を交え「ここに これを こうして こう」と言わんばかりに、全編イラストで描かれている。
世界中の誰でも扱える、という点では分かりやすいと言われている。
見れば分かるの体現ではあるが
言語派にしてみれば、分かるまでに時間を要すので、言葉の解説が欲しいところだろう。

 

反対に、試しに「哲学における自由とは」とインターネット検索ないしチャッピーに聞いてみよう。
チャッピーはできるだけマイルドにまとめてくれたりするが、そうはいっても文字ベース。
また、法律の条文や「AならばB BならばC(三段論法)」のような定義や論理などが記された文章
読めば分かるという話になるが、視覚派からすれば図説が欲しくなることだろう。

 

少々例が強引な部分はあるが、入力と出力の食い違いが「わからない」を発生させていることが分かる。
お互いに、時間をかければ理解できない事も無いが、そんな悠長な時間がとれるとも限らない。
結果、思考する前に入力で情報が止まり「伝わらない/伝わってない」が起こる。

 

 

言語派であれば、言い換えや類語 具体例や連想を多く交えたりすることで、
元々圧縮されている伝えたいことを展開して相手に伝えることができるのではないだろうか。

 

視覚派ならば、こちらも連想ゲームのように伝えたいことをより細かく分解し言葉にしていくのがいいだろうか。

子ども相手に、対大人の話し方はしないように
相手に合わせた「変換」が必須である。

ケーブルだって、差口でぐりぐりしても接続できないものは接続できないのだ。