故郷は変わる。僕は取り残された。

北の、漁や農業が盛んな街の出身で、ガキの頃は
祖父母から、イカ刺し(イカソーメン、内臓(ゴロ))をよく頂きました。
また、ホヤの刺し身、いくらなども、漁師さんからいただくことが多かった。
また、朝7時になると、なにかの演歌が流れ、
「いか~、い゛が~、い゛が~、ほっけ~、キナンボウ(マンボウ)、いか~、い゛が~、い゛が~」とその場で卸売する移動販売車があり、
他には、他にも「石焼き芋」「牛乳販売車」「ラーメン」の移動販売車もありました。

しかし、それも大学生ぐらいまでになると、いただくことが少なく
移動販売車も滅多に来なくなった。
そして、最近帰省した時、ホヤも貝毒で、もはや食べられなくなっていた。
鮭も、帰省せず。イカも不漁、イカソーメンさえ高級品。もはや食べられなくなっていた。

気温も上昇し避暑地とも思えず
熊も下山し、かつて自然と共存でき外で遊ぶことの楽しさを教えてくれた故郷の公園さえも、危険と化していた。
夏祭りでは、出店が飲食店街にずらーっと並んでいたが、
シャッターが増えた飲食店街に、出店は無く、境内に追いやられ、数も減った。
思い出の本屋も寂れ、道端のフラワーロードも雑草に生い茂っている。
活気がなくなっていた。

2030年には北海道新幹線が開業し、その街では停車しないことが決まっている。

あの町は、もう私の知っている町ではなかった。